平成23年11月26日発行   我孫子市史研究センター会報   第117号   通算424
編集:編集委員会117

(字誌・岡発戸-2 岡発戸にある主な施設
  我孫子ゴルフ倶楽部
茂木 勝己

1)倶楽部設立の経緯

江戸時代の我孫子は、水戸街道と成田街道の接点、水戸藩の本陣、成田山新勝寺参詣の宿場町として栄えた。大正末期から昭和初期にかけては利根川と手賀沼に囲まれた一帯を”北の鎌倉”と称して、志賀直哉、武者小路実篤など白樺派の文人、朝日新聞の杉村楚人冠、柔道の嘉納治五郎、陶芸家のバーナードリーチなど寓居を構える文化人たちが集まっていた。だが産業がなかった。

染谷正治は、昭和2 34歳で我孫子町長になった。我孫子町も当時全国的な金融恐慌の嵐の中で疲弊していた。我孫子町は比較的安定した収入のある駅周辺住民と農業従事者との間には考え方の相違や貧富の差が大きかった。そこで染谷は町内の経済格差を解消し、旧態の町からの脱却を目指す新たな、「大我孫子建設」という構想を立ち上げた。そのことについて杉村楚人冠に相談した染谷は「ゴルフ場を作ったらどうか」と助言され、ゴルフについての認識が低かった当時、ゴルフについて必死に学んでいった。染谷の「大我孫子建設」構想の中心の一つは丘陵地開発だったので、このゴルフ場建設は、それを実現できるプランであった。なにより、地元への経済効果が期待できる。

ゴルフ場建設に向けて、精力的に行動した。まず、用地の確保。借地か買い上げか、さらに現金か、割賦か、地権者と倶楽部側との間を駆け巡り、最終決着での地権者との話し合いは徹夜8回にも及んだという。染谷なしでは地権者たちの交渉はまとまらなかっただろう。

開場式には招待客や会員のほかに地元近郷の人たちが多数集まって、我孫子町空前の盛観を呈したといわれている。完成した我孫子コースは、関東屈指の名コースとなり、昭和8年に関東プロゴルフ選手権が開催されたのをはじめとして、多数のナショナル競技が開催されている。会員数も昭和8年には1200名にも達した。

第二次世界大戦とともに我孫子コースは、極端な荒廃におちいり、倶楽部閉鎖の危機に直面したが、染谷正治の尽力で、乗り切ることができた。その後、我孫子ゴルフ倶楽部は名実ともに復興して、日本ゴルフ界における代表的なゴルフ倶楽部の一つとなっている。

2)我孫子ゴルフ倶楽部育ちの地元出身者

第一に林由郎があげられる。地元出身の林由郎は昭和27年、世界プロゴルフ選手権(シカゴ)に招待された。地元我孫子ゴルフ倶楽部育ちのまさに郷土の英雄となった林を染谷正治は我がことのように喜び、出身校の我孫子二小で壮行会を開き、栄誉をたたえた。その後、我孫子ゴルフ倶楽部出身の青木功、海老原清治が国際的に活躍にしている。

3)地域社会との交流

○我孫子第二小学校の遠足 全校生徒で、弁当を持って現地へ行き、きれいな芝の上で思いっきり遊び、お昼を食べて帰ってくる恒例の行事である。また2002年の日本シニアオープンでは、6年生が招待され、二小の先輩青木功を応援した。(ゴルフでは飯合肇、海老原清治も我孫子第二小卒業生)

芝生のコースは赤白帽の生徒がいっぱい

○地域中学生職場体験

○我孫子市民観桜会など

参考文献・資料

「我孫子ゴルフ倶楽部75年史」、「我孫子ゴルフ倶楽部について」社団法人我孫子ゴルフ倶楽部ホームページ

(本稿は10/23歴史部会32回字誌検討会の追加分)


平成23年度史跡見学会
ひたちなか市「虎塚古墳とその周辺」

田中 由紀

114日気持の良い秋晴れの日、茨城への日帰りバス旅行が催行されました。行程は虎塚古墳十五郎穴那珂湊反射炉跡華蔵院の梵鐘、い賓閣跡武田氏館、湫尾(ぬまお)神社。

成田街道の渋滞で出発地、我孫子駅を25分遅れて出発、その後は順調に進み、車内で柴田副会長による虎塚古墳の講義を受け、初めて参加の私は、さすが市史研の旅は一味違う、始めから勉強と、心を引き締めて拝聴、解り易い説明に一段と期待感を増して古墳に到着。

事前学習と、埋文センターの丁寧な案内で、より充実した見学になりました。前方後円墳の後円部に位置する横穴式石室に、赤色顔料のベンガラで幾何学文と武器や武具がくっきりと描かれ、初めて本物の装飾古墳を見た私は大興奮、九州の装飾古墳との類似や幾何学文は何を意味するか等々、謎めいたロマンに満ちた古墳でした。里山の木々の道を十五郎穴横穴群(現在180基、総数300基を超える)へ、いくつものほら穴が山の斜面に並び、おもしろい風景でした。

お昼は那珂湊のレストランでお刺身定食・大好きなビール(もち自腹)美味しかった、市史研は勉強だけでないと、ほっとひと安心(笑)。

那珂湊反射炉跡ではその大きさに驚き、材料の耐火煉瓦造りの窯も珍しい。水戸藩第2代光圀が建てた別邸?賓閣跡は見晴らしが良く、湊御殿(黒松12)の松はどれも枝ぶりが見事で、散策に最適。武田氏の館は、甲斐武田氏の発祥地に、鎌倉時代の住居を再現してあり、母屋には、甲斐武田氏発祥の関係資料が展示され、厩には実物そっくりの馬がいました。湫尾神社は、この頃では珍しい茅葺の立派な社殿で、特に屋根が風情ある佇まいで、もう一度訪れたい神社です。石の鳥居は先の震災で完全に壊れていました。両脇のスダジイと樹齢250年のヒイラギは市指定の天然記念物。出発時の25分遅れを、全員の時間厳守と幹事さんの適切な配慮で取り戻し、スムーズに我孫子に着き、実りの多い充実した旅は終了しました。すごく楽しかった!


虎塚古墳レプリカの説明を受ける

遺跡・十五郎穴の前で

い賓閣跡の日和山上にて

湫尾神社にて

反射炉の前で

6回会員研修 木下史跡探訪参加者募集

今回は「木下まち育て塾」の
皆さんにお世話になります。

日程:12/18(日)30名を予定。小雨決行。

集合時間及び場所:

電車利用の方:JR成田線木下駅936着下車、北口に集合、徒歩にて(印西市)中央公民館へ向かう。この電車の後は木下駅1006着のため前記に乗車下さい。

車利用の方:(印西市)中央公民館に午前10時集合。(地図参照)

行程:(全て徒歩で移動)

午前中:木下六軒蔵めぐり(武蔵屋、滝田まちかど博物館、水神社など)から土手に出、木下河岸跡を見学。途中名物店に立寄ります<団子(久七団子 午前中で売り切れます)、鰻天麩羅(寿美吉)、木下せんべい〜160cmせんべいはギネスブック登録予定>。木下まち育て塾の会員に案内をしていただきます。

昼食:銚子屋(全員でお好み定食にします。てんぷら、刺身、うな玉丼の定食あり。)銚子屋0476-42-4331

午後:13時〜14時頃 吉岡まちかど博物館で2班に分かれて20分間、市史研会員でもある村越博茂講師による木下河岸と舟輸送の歴史解説を受講します。

(館内土足禁止のため、スリッパなどの上履きと靴入れ袋を各自で用意してきて下さい。)

吉岡まちかど博物館は震災後リニューアルした土蔵本体(明治24年築)を使用しており、企画展「川蒸気船銚港丸の誕生とその終焉−船主吉岡七郎の活躍−」と本邦初公開の真野暁亭(明治7年〜昭和9年)「下利根川木下河岸眺望図」(横144cm、縦36cm)などの展示を行なっています。真野暁亭は著名な画家 河鍋暁斎の弟子です。その他、企画展の図録を販売しています(¥500)。


リニューアル前の吉岡邸の蔵(7年前)

吉岡邸の貝化石灯篭(同)

終了後全員で移動。狭い道路なので車に注意し、片側1列で歩行します。

1420 上町観音堂(木下〜行徳道の起点、道標と銅像十一面観音立像(堂内)が有名)、疲れた方はここで解散、木下駅へ向かいます、1440頃木下駅着

1430 脚力のある人は続けて木下万葉公園、木下貝層に寄って木下駅へ向かいます。1530頃駅着。

申込:12/11までに各部会長又は事務局へ電話(メールも可)で申込みして下さい。その際、昼食の希望と電車で行くかどうかをお伝え下さい(電話番号は部会活動予定表を見て下さい)

参加費:1,200円(昼食代、保険料、説明資料代、謝礼代等含む)、弁当持参の場合は400円。


各部会の活動と予定

部会 担当者
@古文書解読日曜部会 1211(日) 1300

アビスタ2学習室

佐々木
テキスト 「和歌思婆不流太仁誌」
A古文書解読火曜部会 1220(火) 1300 アビスタ2学習室 金井
テキスト 「桜井克巳家文書」
B歴史部会 1127(日) 1330

我孫子北近隣センター
並木本館会議室
3

関口 一郎
 湖北座会合同忘年会(会費2,000円、12/17まで電話で申込下さい〜関口又は岡本まで) 
C合同部会 「相馬霊場」編集(8) 1217日(土) 1000
我孫子北近隣センターつくし野館
中澤 雅夫
12月度運営委 1224(土) 940 市民活動ステーション 岡本 和男
12月度井上基家文書U整理作業 125,19() 10時〜 相嶋文化村母屋
会員研修・木下(予約された方のみ) 1218() 936 JR成田線木下駅北口

合同部会11月の活動(11/19) 相馬霊場冊子編集(8 出席者:12   (中澤雅夫)

午前中、香取神社と楚人冠邸見学の予定であったが、またも悪天候のため中止、午後の相馬霊場冊子(以下「冊子」という)編集を中心とした例会のみ開催した。

報告事項:1.著作権云々関係:@我孫子市教育委員会文化・スポーツ課西沢主幹より、市史研岡本事務局長に「冊子」作成の進捗状況について問い合わせがあったので、10/24()、市史研10月会報(No.116)配付、市史研活動状況説明を行う岡本事務局長に同行、「冊子」作成の進捗状況を説明、K氏より渡された文書(コピー)を提出して概要を報告した。A西沢主幹より、行政の立場から言えば、いろいろなグループが市民の文化活動を活発化することが望ましい、トラブルは早く知らせてほしい、との趣旨の説明があった。そして「冊子」については、個人的にも興味があるので、現時点での原稿を頂けると有難い、コピーは当方で取ってもよいとの要請があった。追って届けることとした(市史研11月会報を届ける際に持参する予定)。2.取手昌松寺保有の大師堂絵画:取手の笹川和也画伯が描いた相馬霊場の大師堂の水彩画を見せて頂き、83番諏訪宮の写真撮影と冊子掲載の了承を得た。本件は三谷さんのご尽力により11/16()に同寺を訪問、渡辺さん(83番担当)、関口さん、近江さんと小生が同行した。

冊子編集:諏訪宮と昌松寺の両方にある83番大師堂の扱い(既刊『大師道』では2ヶ所に掲載)、これまで配付した原稿案に対する各種指摘、新たに判明した事柄の報告・説明など活発な検討が行われた。

次回は午前中に例会を開催、昼食忘年会を行うこととなった(場所未定、追って連絡する)

歴史部会10月の活動(10/23) 第32回「字誌」検討会 出席者:12                             (関口一郎)

今回の発表は「岡発戸・岡発戸新田」で、発表者は茂木勝己会員(共同研究者の田中由紀会員は都合により欠席)。短い期間によくまとめていただいた。まず、「小字の範囲」を列挙。湖北台10丁目、東我孫子12丁目も一部含まれる。「概要」に続いて「地名の由来」について2説を紹介し、さらに「小字考」も取り上げている。次に「主要な史跡・建築物」を紹介。更に「教育」を取り上げ、『湖北小百年史』を基に「岡発戸小学校創立期」の状況について説明している。

全体としては「地名の由来」や「主要な史跡」などについて出席者間で活発な意見交換があり、実りの多い研究報告会であった。

「主な施設」のうち「我孫子ゴルフ倶楽部」の設立経緯や地元出身者、地域社会との交流を追加分として本号に紹介されているので参照されたい。


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